個性的…は褒め言葉ではない

中学生が気にするものの一つに「内申書」というものがあります。

正確には「調査書」と呼ばれるもので、簡単に言えば中学校でのあらゆる取り組みなどを次の学校(高校など)に伝えるものです。中学生(とその保護者)が気にするのは、おそらくそれが高校入試において大きな役割を果たすと信じているからでしょう。だから(何故か)部活に平日だろうが休日だろうが練習をして、大きな成果を残そうとしていたのでしょう。そして出来るだけイイ子のように振る舞い、時には気の乗らない生徒会活動やボランティア活動などに勤しんでいるのでしょう。

 

ですが2つだけ言えることがあります。

一つは、高校入試において調査書の記載によって合否が大きく左右することはないです。休みの日に部活に何時間も費やして県大会出場程度の成果を出すくらいなら、その時間を勉強に費やして入試の点数を上げる方がコスパがいいです。

もう一つは、調査書にネガティブな文言は基本的に使いません。下のような書籍も売っているくらいですからね。

honto.jp

 

さて、ここまで読んでいただければ何となくお分りかと思いますが、タイトルにある「個性的」はどういう時に使うかということです。印象としてポジティブな人であれば特に上のような書籍は不要でしょうけど、人間なのでそうでない人もいます。(私は偏屈で頑固ですから、どちらかと言えばネガティブな印象の人です。)

 

例えばいつも授業でおしゃべりばかり、うるさくてうるさくて仕方がない人がいるとします。そういう時は「活発で」とか「元気な」という言葉にで表現します。反対にほとんどしゃべらないで何を考えているのか分からないような人には「物静かで」とか「深く考えることが出来る」という言葉になったりします。

 

では社会性がないとか奇抜であるとか…(ボキャブラリー不足ですみません)ぶっ飛んでいるような人はどう表現するかと言うと、まさに「個性的なナントカ」という言葉を使うことになります。

 

このように、同じ人でも表現する言葉にはポジ・ネガの両方が存在するので、結果として上級学校などには必ずポジティブな人物像が伝わるわけです。しかし受け取る側もまた、その上に送る側でもあるわけで…。かく言う私も、現在調査書に似た指導要録という書類を書いている最中であります。これも同様に生徒の所見をポジティブに書くわけです。

 

なるべく「個性的」という言葉を使わない個性を見つけられるように普段から心掛けてはいるんですけどね。人を評価するって本当に難しいです。点数でチャッチャとつけられるものではないので。

 

(ここからは愚痴)そもそも人物所見なんて思いっきり書き手のフィルターが掛かるのだから、それを公文書として残すのってどうかと思うんですよね。所見は私見ですからね。学校なのだから学業成績とせいぜい出欠の記録があればいいんじゃねーの?と思ったりします。まぁ要は面倒くさいんです。だってその後読まれる可能性って極めて低いですし…。