言葉の素人が言語政策を行ふなかれ

外国籍高校生らに「日本語」授業、単位認定へ 文科省が23年度から(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース

 外国にルーツを持つ生徒に対して、文部科学省は2023年度から高校での日本語指導を、卒業単位として認定する方針を決めた。国語に限らず高校の免許を持つ教員と、補助的に民間の日本語教師が教えられるようにする。24日の中央教育審議会文科相の諮問機関)の部会で制度案が報告された。

(中略)

高校は生徒一人ひとりに個別の指導計画を作成し、目標を達成すれば単位を認定する。文科省は今年3月末までに関係省令などを改正し、23年度から運用を始めたい考えだ。

 

もう、ツッコミどころが満載です。

まず、「高校での日本語指導を単位認定」というあたり。これは元々、海外にルーツを持つ高校生の中退率が全体的な数字と比較して、比較にならないほど高いということに由来するようです。しかし、都道府県によって違うでしょうが、そもそも

「倍率が1倍を下回っている場合は全入(全員入学)」という方針を出しているのは誰なんだ?ということです。これでは、たとえ日本語が分からなくても、入試で点数が取れなくても、入試を突破出来てしまうのです。突破という言葉は適しませんね。倍率が1倍以下である時点で合格できるのは公然の秘密だろうと思います。(絶対ではありませんが)

 

ちなみに私が勤務する学校(高校)の数代前の校長が近隣の中学校で言われたとされる言葉、「特別支援学校高等部に落とされても、欠員補充で送れば受からせてもらえるから安心ですよ。」つまり中学校は定員割れをしていれば特支だろうが、日本語の分からない外国人だろうが「本当の意味」で誰でも入れることを知っています。

 

アメリカの高校大学であれば、(短期を除いて)基礎の英語クラスにまず入れられてみっちり英語を鍛え直すでしょう。日本では日本語能力試験 JLPTで例えばN3合格以上を出願条件に入れるとかしなければならないでしょう。そもそも日本語がよく分からないのに入学出来てしまえば、そのまま日本語で授業を受けなければならないのですから、生徒にとってこれ以上不幸なことはありません。

 

それに「日本語」を卒業単位とした時に、それは何の代わりになるのかが問題です。学校設定科目にするのか、それとも別の授業を削って外国籍の生徒だけ日本語を受けるのか。やることが中途半端過ぎます。

 

そして、教えられるのが「国語に限らず高校での…」の文言です。これは暗に「国語の教員なら日本語を教えられるでしょ?」と言っているのと同じです。しかし日本語を外国人に教えるのは、あくまで日本語を「外国語」として教えるのです。日本人に日本語(国語)を教えるのとは中身が全く異なるということを認識していない方針と言っても過言ではありません。中教審には言語教育の専門家はいないのかと不信感が募ります。

(かつて勤めていた学校の校長の教科が国語で「俺も(資格を)取ろうっかな」とかほざいていたので、「先生、音声学とか分かりますか?リスニング試験もありますが。」とか言ってやろうかと思ったけど止めた。)

 

日本語を教えるにはいくつかのルートがあります。私もかつて、日本語教育能力検定試験を受けてみたで書いたように、試験を受けたことがあります。もっとも私は

こんな本を一冊で済まそうとして玉砕したのですが。実はこの試験は、8割正解(自己採点)しても合格できないくらいハードルが高いのです。だからと言って、質の確保を考えれば合格ラインを下げる必要は一切無いと思っています。何が言いたいかと言うと、質と数を確保したいのなら、養成にもっと手間暇をかけなさいよということです。

 

そういった養成の部分を手抜きして、外国籍の生徒を高校に放り込んで、あとは高校の先生よろしく!じゃ困るんですよ。生徒一人ひとりに個別の指導計画を作成って何ですか?既にオーバーフローしている学校現場に、個別計画を立てる仕事まで押し付ける気でしょうか。民間の日本語教師の力をっておっしゃいますが、そんなに日本語教師の余力があるんですかね?気になります。

 

いずれにしても誰も得しないこの方針、どうにかならないものでしょうか。